ムサシ(♂) ラブラドール・レトリバー

2013年03月15日

 飼い犬に調教が必要だと知ったのは犬を飼いはじめてからのことだった。特に大型犬は人懐こくて、飛びついて怪我をさせて裁判になった例もあると聞き、我が家の愛犬ムサシはラブラドールの雄なので、すぐに調教をお願いすることにしました。
 さっそく、久保木さんが一日置きに我が家へ調教に来てくれるようになり、しっぽを振って喜んで出かけて行くムサシの姿に、これでもうペットと楽しく暮らしていける、大丈夫、とすっかり安心して訓練の日は私も朝から楽しみに待っていた。そんな日が続く中、たまたま、門の外まで出て、何気なく訓練に行くうしろ姿を見送っていて私は愕然とした。
 息子のメガネを銜えて走ったり、新品のブーツをガムのように噛み、またそれもかわいい仕草と悲鳴を上げながらも許していたが、今、遠ざかって行くムサシは「ネ!ネ!」と合づちを打つようにずっと久保木さんの顔を見上げながら、弾むような足取りでぴたりと寄り添って歩いているのである。ムサシは信頼しきっている。恋人みたいに・・・。
このことが飼い主とペットの関係を考えるきっかけだった。
 ムサシが亡くなってもうすぐ一年になる。とうとう腰が立たなくなった時、たった一度だけのことだったが、近づくと鼻に皺を寄せて歯ををむき出して唸り、身構えたのだ。ずっとのんびりと暮らしてきたムサシのその姿に、動物の本能をまざまざと見た気がした。
「ムーチャン大丈夫だよ。大丈夫だよ。」と、何度もゆっくり、ゆっくり繰り返し話しかけた。私の言葉が解ったのか、それからは首に手をまわして起こしたり、寝返りをさせてもおとなしくされるままになっていた。
 後日、友人から「人間は歩けなくなった事を悲しむけれど、動物は敵から逃れられない恐怖を感じるんだよ」と聞かされ、あの時、どんなに不安だったのだろうと、思い出すとムサシが愛しくて今でも涙がこぼれてくる。
 一年十ヶ月の長い介護だった。犬の散歩仲間に会うと「ムーチャン大丈夫?」と気遣ってくれ、「大変よ~」と答えていたが、今振り返ってみると、疲れ切ってしまうほどではなかった。夜中に泣いてもそっと頭を撫でて
いると安心してすぐ寝入った。次第に耳が聞こえなくなり、目も見えなくなり、人懐こい愛嬌のある顔もだんだん表情がなくなってきたのはさすがに淋しかったが、嗅覚だけは残っていたので、毎日、頬ずりをしたり、寝転がってよく遊んでいた庭の風がとどく所に寝床をひきずっていったり・・・。
 そんな寝たきりの生活にもリズムが出来てきて、ぐっすりと眠る午後には主人と二人で話題の映画をよく観に出かけ、仕事も好きな事もお互いのスケジュールを都合し合ってどちらかが留守番うぃ引き受けた。
 「調教=しつけ」と以前は漠然と考えていたが、ムサシは調教を受けたことにより、私たちの言うことを理解しようという姿勢を身に受けたことにより、私たちの言うことを理解しようという姿勢を身につけた。私たちは不安を抱かせないように共に暮らすことを覚えた。飼い主とペットの関係を私なりに納得できた気がしている。

 息をひきとったムサシをそっと抱き上げたときの柔らかい体の感触はまだ私の両腕に残っている。「ボク、生ききったよ」そう言っているようだった。
 あと三ヵ月で十八歳になったのにと思うと残念だったけれど、今は「これでよかったのかな」と写真に話しかけている。
【金澤杏子】

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